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🌟『平城山』(ならやま)誕生秘話(その2)!

更新日:2021年10月13日

♫「第1回平井康三郎声楽コンクール」(2021年9月27日〜10月12日)開催に際して、当コンクール実行委員長を務める指揮者・作曲家の平井秀明氏に、インタビューを行いました!



🔸今回のコンクール《第1次予選》の課題曲としても沢山の方々が歌われた「平城山」(北見志保子作詞、平井康三郎作曲)について、お聞かせいただけますか?


♫「平城山」は祖父の代表作として、長年皆様に愛唱いただいておりますが、「平城山」、「甲斐の峡」(かいのさわ)、「九十九里浜」で構成される《三部作》の一つであり、日本で始めて本格的な「短歌連作形式」を確立した作品です。


昭和 10 年(1935年)に短歌雑誌「草の実」の創刊10 周年を記念して、歌人の北見志保子さんから作曲の依頼を受けた当時25歳頃の祖父が、歌集の中から自由に短歌を選んで組み合わせて《三部作》として作曲した芸術歌曲です。


🔸「芸術歌曲」とはどのような特徴があるのでしょうか?


♫「芸術歌曲」とは英語ではArt Song、ドイツ語ではリートと呼ばれる、芸術性の高い歌曲を指しています。


歌のパートの芸術性は言うまでもありませんが、ピアノも単なる伴奏に留まらず、ソロのように非常にピアニスティックなこともあれば、一音一音のハーモニー、音色、リズムなどの変化で情景描写の役割を担うこともあります。

そのため、歌手とピアニストのアンサンブルは良い演奏には不可欠な要素となりますね。


さらに、歌詞や音楽の密接な関係性と相まって、時には壮大な物語や情景の移り変わりが、僅か数分ほどの曲に凝縮されているのが、「芸術歌曲」の醍醐味の一つです。


まさに、三十一文字で多くを表現する和歌の世界とも通じるものがありますので、音楽の行間からも作曲家のメッセージを読み取ることが大切ですね。


🔸とても深い芸術の世界を感じさせる名曲ですが、この美しいメロディーはどのように生まれたのでしょうか?


♫奈良県にはJR「平城山」駅がありますが、県内ではお昼や夕方に、「平城山」がチャイムで流れるのを私も修学旅行(笑)などの際に聴いたことがありますね。


それでは、「平城山」《誕生秘話》をお話しいたしましょう!


JRの前身は国鉄ですが、さらに昔、今は無き省線電車の「万世橋」という駅(神田駅と御茶ノ水駅の間)で乗り換えの数分間に、駅のプラットホームでパッとメロディーが閃き、帰宅後伴奏を付けて出来上がったそうです✨


🔸普段ご家庭でも閃きや名曲が誕生する瞬間なども間近にご覧になっていかがでしたか?


♫生まれた時から同居していた祖父からは、音楽に限らず本当に様々なことを学びました。


ある時お茶の間でコタツに入り音楽談義の際に閃きについて尋ねると、「楽想はいったいどこから来るのかは分からないが、突然泉のように湧き出てくるものだ!」と、語っていたのが印象的でした。


殊に音楽のこととなると極めて厳しく、震え上がるようなレッスンは語り草ですが、酒豪王国で知られる土佐(高知県)出身の祖父は、早朝から物凄いスピードと量の仕事をこなした後、毎晩欠かさなかった晩酌が至福の時でした。


お酒が入ると明るく豪快で、トンチやジョークで人を楽しませるのに長けたエンタテナーでもありました。


晩酌でほろ酔い気分かと思いきや、居眠りから突然目覚めて、箸袋や広告の裏紙に閃いたメロディーを書き始めることもあれば、食事もそっちのけで、「このメロディーに伴奏を書いてきなさい!」と、視聴途中の時代劇(「水戸黄門」など)を横目に私は渋々音楽室へ篭り、即席レッスンの課題を仕上げてまたお茶の間に急いで戻ったり(笑)、といった具合で、喜怒哀楽溢れる思い出は尽きません。


🔸「平城山」の作詞者の北見志保子氏も高知県出身の豪快な女性で、驚きのエピソードを色々伺いましたので、また次回ブログでの続編をどうぞお楽しみに!

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